2019年7月10日水曜日

日光サンガ 7月の「気づきの日」瞑想会の報告(2)

(アン・フーンさんの法話の続きです)

もし、座る瞑想の時間に横たわっていたら、「この瞑想は正しくないのでは?間違っているのでは?こんなことをしていたら仏陀のようには決してなれないのでは?」と怖れています。
私がサンガを作るとき、「このサンガを安全な場所にしたい、正しいプラクティスを行う場所にしたい」という思いを持ちます。しかし、その思いがかえって重荷になることもあります。
どんなに美しいプラクティスをしていても、「正しい。間違っている」という二元的な思考に囚われてしまえば、その美しさは損なわれ、「こうあるべき」という思考の犠牲者になってしまいます。
そのため、リトリートの時に私は先生として参加することがありますが、座る瞑想の時に、横たわって瞑想することもあります。もし、私が横たわって瞑想していれば、このリトリートに初めて参加した方たちは「あー、ここでは横たわって瞑想しても良いんだ!」と安心することが出来ます。もしかしたら、初めて参加した方たちは疲れ切っていて、座る瞑想が出来ないかも知れないからです。

もし、あなたがサンガに来て、安全・安心を感じることが出来るのならば、あなたはすでにサンガに貢献をしています。あなたはサンガのために何かをしなければならない、というわけではありません。あなたがそこにいてくれる。あなたがそこで安全・安心を感じていることそのものが、サンガをより安全・安心な場所にしてくれるからです。ここが安全・安心な場所だから微笑むことが出来る。泣くことが出来る。それが一番大切なことです。

3年前のリトリートでモモさんの赤ちゃんはどこにいましたか?今、モモさんの隣にいる美しい赤ちゃんは3年前はどこにいましたか?3年前、モモさんはまだ妊娠していませんでした。
それは私達が深く考える必要のある問いです。
私達に、赤ちゃんが出来るまで待つ必要はありません。赤ちゃんのために安全な場所を作ることは、例え今、赤ちゃんがいなくても、今この時に行うことが出来ます。


あなたが子どもを持っていても、持っていなくても、男性でも、女性でも、僧侶でも、在家でも、大切なことは夢を持つということです。
今日、サンガの皆さんが夢をシェアしてくれましたね。それは、あなた方の心にある深い望みであり、希望です。私達は毎日、毎朝、自分の夢や望みに触れることが出来ます。それが実現する未来まで待つ必要はありません。もし、あなたが人と人との繋がりを作りたいと願うのであれば、もし、あなたが人と自然とがもっと深く繋がり合いたいと願うのであれば、今ここでそれを実行することが出来ます。あなたに意図があり、あなたが心と身体を一つに繋げるプラクティスが出来るのであれば、あなたがやりたいと思っていることを実現することが出来ます。
もし、あなたがこの地球に平和をもたらしたいと思うのであれば、あなたが踏み出すその一歩をまるで地球に大地にキスをするように優しく踏み出してください。
もし、あなたがこの世界を慈悲深いものでありたいと思うのであれば、あなた自身のこの一日を優しさと思いやりを持って生きてください。

サンガは決して大きくある必要はありません。一人ひとりがそこにいて、心から安全であると思えることが大切です。サンガは2人からでも始められます。カップルやパートナーでも構いません。そこに、調和と平和と喜びがあれば、もっと人が集まってきます。ですから、モモさんと赤ちゃんはすでにサンガです。モモさんが鐘を招く様子を赤ちゃんは見ています。ですから、モモさんは赤ちゃんに「鐘はこうやって招くんだよ」とわざわざ教える必要はありません。モモさんが鐘を招く姿を見ることで、赤ちゃんは自然に学んでいくからです。

私達の息子は26歳で、すでに青年です。私達はこれまで息子に鐘の招き方やベトナム語でのお経の唱え方を教えたことはありません。しかし、彼は鐘を招くことも出来るし、ベトナム語でお経を唱えることも出来ます。彼は私達の姿を見て学んだからです。ベトナム語でのリトリートが開かれた時に、彼はベトナム語のお経をとても美しく唱え、皆を驚かせました。

ここが安全であること、そのことが私達が教えを伝えるうえで最も大切なことです。
ですから皆さん、サンガのサイズがどれくらいであるかということに対して、心配しないでください。「私のサンガは人が少ないのでは?小さ過ぎるのでは?」ということに囚われないで下さい。一番大切なことは、そこが安全で、安心できる場所であるか?ということです。

でも、安全である、安心できる場所である、と感じることはどういうことでしょうか。
安全であるということは、自分の心の内側にあることを分かち合うことができる、ということです。
安心できる場所ということは、そこで苦しみを分かち合うことができる、ということです。
心を開いて苦しみを分かち合うことが出来た時、それはお祝いの瞬間なのです。苦しみを分かち合うことが出来た時、そこが安全で安心できる場所になった、ということだからです。

家族やパートナー、カップル、親子の間でも苦しみや困難を分かち合うことが出来ないことがあります。彼らはリトリートにやって来て、そこでようやく苦しみや困難を分かち合うことが出来ます。リトリートの時、私達は家族のメンバーを同じシェアリンググループには入れません。しかしリトリートの終わりには、彼らは幸福な気持ちになって、お互いにハグをします。そして、家庭の中にプラクティスを持ち帰ります。そして、家庭の中でお互いの抱えている喜びや苦しみを分かち合うようになります。

(続きます)