2020年3月14日土曜日

新型コロナウィルスへの怖れが広がる世界で幸せに生きる(アンフーンさんの法話)

3月8日は「気づきの日」瞑想会が予定されていましたが、新型コロナウィルスの感染拡大の影響で中止となりました。
その代わりに、全国のサンガのメンバーが自宅からZoomで繋がりました。

10時からは、アンフーンさんの法話がありました。
新型コロナウィルスの感染が世界中で広がり、社会的な影響が大きくなっていく中で、私達が怖れの感情に飲み込まれることなく、マインドフルな生き方を続けていくためのお話しがありました。


<アンフーンさんの法話> (微笑みの風サンガのJINさん翻訳)

みなさん、まずは一緒に座って一つになって呼吸をしましょう。顔、首、背中の力を抜いて、自分がしっかりと大地に根づいていることを感じてください。鐘を3つ招きます。

ここにいてくれてありがとうございます。物理的に会うことができなくても、Zoomを通してつながることができます。

私たちの息を吸って、息を吐くプラクティスは「Yes」というプラクティスです。自分の身体に、そして怖れやすべてのことに対して「Yes」というプラクティスです。

私たちには「No」と言ってしまう根強い癖があります。様々なことに対して、抵抗したり、苦しんだり、自分にとって嫌なことに対して「No」と言ってしまうのです。

でも、私たちのプラクティスは息を吸って、息を吐くときに「Yes」と肯定するプラクティスです。毎日毎日、入ってくる息、出ていく息に「Yes」と言うことができると、全身がリラックスして穏やかになり、心も安らいで、心が開かれていきます。闘おうとしていた心が開かれていくようになるのです。何が起こっているとしても、心の扉が開かれているということが大切です。そのことによって私たちはいのちの素晴らしさに出会うことができるからです。生きていると感じられること、生きる喜びが自分の中、そして周りにあることを心の扉が開かれていれば感じることができるのです。例えどんな困難なことが起こっていたとしても。

吸う息と吐く息に気づくことができれば、心と身体が一つになり、生きている喜びを感じることができます。その瞬間の「今ここ」がホームとなり、生きていることを感じ、自分自身が安定して揺るぎないものとなります。そしてネガティブなものに振り回されないようになります。

怖れや疑いや怒りなどのネガティブな感情は、吸う息、吐く息に気づくことができると徐々に安定して落ち着いてきます。それは素晴らしいギフトです。

私たちは2年前から計画していたワシントンでのリトリートがあって、それは3月19日から10日ほど行われる予定でした。しかし、このような状況なので、運営委員のメンバーが2日前にキャンセルすることを決めました。それに対して大多数の人は賛成でしたが、中には不満に思っている人もいました。でも、大事なことはこのような状況の中でもシェアを続けていくということなのです。2年前から計画していたリトリートをキャンセルした理由は、怖れではなく気づきです。

このコロナウィルスの出来事は私たちに気づきを与えています。私たち世界中の人が大きな家族の一員だと教えてくれています。ある国のある家族の苦しみが、他の国のある家族の苦しみとなるのです。

コロナウィルスは私たちにとって大きな「気づきの鐘」です。世界中に対して「気づきの鐘」を鳴らしています。それは、私たちのこれまでの習慣や、忘れやすさというのを止めてくれる力があります。私たちを目覚めさせてくれるのです。

何に目覚めさせてくれるか。それは、生きているという喜び、奇跡、そして私たちの命が無常である、ということです。


ここで私たちが疑問に感じるのは、このような大きな怖れや不安の中で、タイ(ティク・ナット・ハン師)の教えやブッダの教えが助けになってくれるのか、ということだと思います。

ウィルスはとても小さなものですが、大きな破壊をもたらします。私たちの中の小さな怒りや不安もまた大きな破壊とつながる可能性があります。

私たちの意識の奥の倉庫には怖れや怒り、喜び、幸せ、嘆き、怒りなどの種が貯蔵されています。潜在意識の中にある怖れの種に水やりをすると、怖れが大きくなって芽を出します。そして意識の中に現れるのです。そしてウィルスへの怖れが大きくなって攻撃しようとすると、ウィルスが私たちへの怖れからさらに攻撃しようとするでしょう。

私たちはウィルスを怖れています。毎月の感染者の数などを統計で取っています。しかし、数字に表れる以上に「怖れ」のウィルスがもっと広がり、もっと感染者を増やしています。

我々はどんどん怖れに水やりをして、怖れを育てています。そして、自分の中にある喜びや幸せにふれることをしません。私たちがコロナウィルスを強くしているのです。

なぜそのようなことが起こるのでしょうか?私たちは自分たちが怖れることでさらに周りの生きものを怯えさせています。怖れを感じた人はパニックになっています。

ネガティブな種が強くなり、怖れが強くなると、免疫機能が弱っていきます。免疫機能がバランスを取れなくなりウィルスにはもっと感染しやすくなります。

5つのマインドフルネストレーニングは、このような時にも継続してプラクティスをすることができます。先月一つ目のトレーニングについての話を終えたところですが、その中心にあるのは「苦しみへの気づき」です。

自分の内側にあるコロナウィルスへの怖れに気づくことができた時に、自分の免疫が弱っているということにも気づくでしょう。それに気づくことができれば、どのようにしたらいいかが分かるはずです。

このマインドフルネストレーニングは「コロナウィルスに対する自分の内側の怖れが大きくなることによる破壊に気づく」となります。自分の中の怖れが大きくなっていることに気づけば自分の免疫が弱っていることに気づきます。そうしたら、自分の免疫力を免疫を高めるためにバランスを取ることが大切だと分かるはずです。

マインドフルな呼吸に帰って、精進する決意をするということが大切です。それは自分の中の怖れや不安に気づいて、自分の怖れを和らげて緩めるようにする、という決意です。

怖れや不安は泣いています。それをお母さんが小さな赤ちゃんを抱きしめるように抱きしめることができたら、その赤ちゃんは穏やかになって、さらに強大にはならなくなります。

そして、深いくつろぎの瞑想をやると決意します。早い時間に寝て、遅くまで起きていないようにします。なぜなら、睡眠によって免疫が活性化すると分かっているからです。

そしてマインドフルな動きをすると心に決めます。そのことによって気やエネルギーの循環を促します。


そしてマインドフルに歩くことを決意します。新鮮な空気を吸って酸素をもっと取り入れます。そのことによって、怖れや不安をなだめて、喜びや平和を自分の中で育むことを助けてくれます。


そしてマインドフルに食べることを心に決めます。マインドフルに食べれば、自分が何を食べているのかに気づきます。このような時には消化するのが難しくなります。自分の健康に良いものを選んで食べて、自分の健康にいい食べ方をできるようになります。自分の身体が心地よい状態になり身体がリラックスすれば、怖れは和らぎます。


そして、マインドフルな消費をしようと心します。自分を不安にさせるものにさらさないようにして、喜びや平和や安定をもたらしてくれるものを消費するようにします。例えば、怖れや絶望を拡大させるようなニュースやゲーム、おしゃべりなどは避けます。

そして大きなグループでは集まらないようにします。なぜなら大きなグループだと感染を拡大させてしまう危険性があるからです。

そして、手を洗うことを心します。自分が触るものに対して意識的になり、ドアに触る時には布や紙で手を覆ったり、そのあとすぐに手を洗うようにします。そのようにマインドフルネスのプラクティスを通して教育することができます。自分がそのようにプラクティスをしていれば、周りの人たちもそれを見て真似するようになるでしょう。

そして、砂糖を摂ると免疫機能が低下することに気づいて、砂糖の摂取を減らすようにします。炭酸飲料や氷の入った冷たい飲み物も避けます。

マインドフルネストレーニングは方向を示してくれます。

怖れや不安な気持ちがあれば、コロナウィルスに感染する前に病気になってしまいます。怖れの炎が自分の中で拡大して、それによって死んでしまうこともあります。

でも、マインドフルネスのプラクティスによってそれを抱きしめることができれば、私たちは方向を変えることが可能なのです。そうすれば、平和や調和、幸せを自分と周りにもたらすことができます。それはこのようなコロナウィルスの騒ぎの時にも可能なのです。大事なことは、怖れや絶望、怒りなどを強くさせないということです。

ワシントンのサンガではいつもは抱きしめる瞑想(ハギングメディテーション)を集まった後にはみんなでやっていました。抱きしめる瞑想は癒しの瞑想です。でも、このようなことになって私たちは「抱きしめない瞑想」もやっています。それはコロナウィルスによる苦しみに気づく瞑想です。

ハグをする代わりにサンガの仲間と一緒に手を胸に当てて深くつながります。一緒に呼吸を楽しみ、お互いを見つめて、そこに生きていること、その人が安全・安心していられること、守られていることの喜びを感じながら深く呼吸をします。これが新しいマインドフルネス・トレーニングです。こんな時でも、平和と穏やかさ、喜びをもたらすことができます。自分自身と世界に対して、安定と喜びをこのような時でももたらすことができるのです。

それでは、一緒に座ってしばらくの間、呼吸をしましょう。吸う息、吐く息に気づきを向けてください。

何かシェアしたいことや、質問したいことなどありますか?

<質問者より>
いつもは20数か所でZoomでつながっているわけですが、今日はこのように家から多くの人とつながることができて感謝しています。ここ数週間、人と物理的に会うことは少なくなりました。一人暮らしを何十年としているので慣れているはずなのですが、このような状況の中で近くに家族や親せきもおらず、東京にはたくさんの人がいるのに、気軽に話せる人がいません。家に一人で暮らしていて、私はこれまでにない強い孤独を感じています。
今日のお話の中でマインドフルに暮らすことが免疫力を高めるというお話がありました。ワシントンでは「抱きしめない瞑想」をやっているというお話でしたが、それは実際に会うからできるプラクティスかと思います。このような、会うことが難しい状況の中で、直接会わなくても皆と繋がっていることを感じさせてくれるプラクティスがもし何かあったら紹介してもらえませんか?

<アンフーンさんより>
写真を使ったプラクティスができます。サンガのみんなと写っている写真を使ってください。もし、なかったら今は心の中に思い浮かべるようにして、コロナウィルスの騒動が収まったら一緒に写真を撮ってください。



自分の呼吸に帰り、テーブルの上などに写真を置いて瞑想をします。物理的にはサンガの仲間が目の前にいなくても、その前に座って呼吸をしたときに、サンガがいることを感じられるでしょう。サンガはあなたの中にいるのです。

今日、家の中で静かに一人で座ってください。呼吸に帰って、平和を感じてください。そして「気づきの日」にサンガの仲間たちと過ごした瞬間、1日を思いだしてください。あなたがサンガのことを思いながら息を吸って息を吐いたとき、とれは自分だけの呼吸でなく、サンガの呼吸です。あなたが息を吸った時に、サンガも息を吸っています。あなたが息を吐いたときに、サンガも息を吐いています。

あなたはサンガの子どもです。これまでサンガの中で多くの時間や日をすごしてきました。あなたの中にある喜びや幸せ、愛の種を育んできたのです。息を吸って息を吐いて微笑んだ時、サンガがあなたの中にいることを感じることができるでしょう。サンガはあなたの中にいます。そして写真を目の前にすれば、より感じやすくなるでしょう。

最初はこの出来事を悲しいと感じるかもしれません。サンガに会うことができなくて寂しさを感じて孤独だと思うかもしれません。まずは、自分の中にあるそのような気持ちに「Yes」と言ってあげてください。

そして、涙があふれるかもしれません。それは幸せの涙なのです。それだけ大切なサンガというものがあなたにはある、ということ。どれだけサンガが大切かを分かることができます。涙が出てきそうになったら、どうぞ涙を流して下さい。

マインドフルな呼吸や歩く瞑想を家の中で続けてください。サンガも共に呼吸し、共に歩いています。あなたはそれを感じることができるはずです。なぜならそこにはマインドフルなエネルギーが強く存在しているからです。サンガというのは一つの身体で、あなたたちは一つ一つの細胞です。

最初は小さな子どものように感じても、呼吸や歩く瞑想のプラクティスをすれば、あなたの中のサンガが強くなります。あなたの家の中にサンガが共に暮らしていることを感じることができるでしょう。

タイの写真があれば、サンガの写真と共に呼吸をしたようにタイの写真に向かって「こんにちは。私と一緒に呼吸をして歩いてください。」とお願いしたら、タイがあなたと一緒になって呼吸してくれていること、歩いてくれていることを感じることができるでしょう。


マインドフルネスのプラクティスによって得られるのは、人と人とのつながりです。それは温かい毛布のように、孤独の寒さを温めてくれます。一人の時にサンガを思い描いて「サンガよ、私は寂しさを感じています。助けてください。」と語りかけたら、サンガが一緒に呼吸をして助けてくれます。

サンガと一緒に過ごした美しい記憶、喜び、平和がそこにはあります。それは自分の内側に存在し続けているのです。だから静かに坐ったり、横たわったりして、胸に手をあてて、その記憶を呼び起こしてください。

サンガやタイを思い描いて「ここにいてほしい」と願うことで、幸せな瞬間が蘇り、過去の記憶が今ここにいる自分を温かい気持ちにさせてくれます。

例えば、私の家にはたまきさんが描いてくれた何年も前のリトリートの名札があります。ここには富士山があって、お花があります。私はこれを部屋において見えるようにしていて、私が大好きなリトリートの楽しい思い出を思いだしています。何年も前の記憶が今私を助けてくれます。

このようにしてサンガを味わうことができます。サンガを思い浮かべれば良い気持ちになります。距離があるからといって私たちを切り離すことはできません。

「気づきの日」というのは宝石のようなものです。一日一日がキラキラと輝く宝石です。今日という日をそのバスケットに入れる宝石としましょう。今日という日は決して繰り返すことができない大切な一日なのです。


(ここで私の娘が、自分で描いた3枚の絵をサンガのみんなに見せました。)
 
ブッダがハートのプレゼントをくれる絵

蛇に乗ったお内裏様とお雛様が、月とお星さまを眺めている絵
 
雲とパイナップルと雲の上のお家、そして地面を歩くポケモンの絵

<アンフーンさんより>
今日は家で、自分の中の子どもを呼んで、絵を描くのも良いですね。それをみなさんの宿題としたいと思います。それに加えて上田さんは俳句も書いてくださいね。

そして今日は1日、この後も「気づきの日」です。もし、自分の怖れが起こってきたらそれもシェアしてください。一人で抱える必要はありません。サンガの仲間とシェアしてください。みんなで抱きしめることができれば、それが強い支えとなります。今ではシェアのための様々な方法があります。メールをしたり、メッセージで送ったりできますね。

悲しみを感じていたり、不安があったら素直にシェアしてください。それを共有しながら共に呼吸をしてください。返事を出す必要はありません。シェアをして、それをサンガの仲間に受けとめてもらうだけで十分なのです。

自分の想いをサンガの大きなゆりかごにそっと置いてください。解答や話し合いはいりませんし、アドバイスもいるません。もしくは、言葉にすることが難しい場合には「私の心の中には今雲がある」「鳥が飛んでいる」「雨が通り過ぎている」などの例えを使ってもいいかもしれません。

今日というこの日を活かして、サンガのゆりかごに自分を預けてください。集合的なエネルギーによって抱きしめられることがとても大切です。

それではどうぞこれからマインドフルな食事を楽しんでください。3つ鐘を招きますので、呼吸に戻ってください。(鐘の音)

<アンフーンさんの法話 終わり>


 ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

このような状況の中でアンフーンさんの法話が皆さまの健やかな日々の生活の手助けになることを願っています。
 (Seiji@日光サンガ)


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2020年3月12日木曜日

日光サンガ 2月「気づきの日」瞑想会の報告

2月2日(日曜日)「気づきの日」瞑想会が開催されました。

この日は、静かな雑木林に囲まれた離れの茶室での開催でした。

午前中のアンフーンさんの法話では、先月に続いて5つのマインドフルネス・トレーニングに関してお話をされました。



<アンフーンさんの法話> (微笑みの風サンガのJINさん翻訳)

先月から5つのマインドフルネス・トレーニングを学び始めました。先月は第一のトレーニング「いのちを敬う」をやりましたね。今月もその続きをして、来月から第2のトレーニングにいきましょう。

5つのマインドフルネス・トレーニングは北極星のようなものです。平和で幸せな人生を送り、その実践を人々とシェアするための道しるべとなる北極星です。この道を歩くことができるのは幸せなことです。北極星にたどり着ける人は一人もいません。それと同じように、5つのマインドフルネス・トレーニングを完璧に実践できる人は一人もいません。でも、実践があることによって、自分の心と身体はより軽くなっていきます。

人によってはマインドフルネスのプラクティスをしていれば十分だから5つのマインドフルネス・トレーニングは必要ないという人もいます。でも、マインドフルネスのプラクティスをしていてもそれが正しいマインドフルネスではなく間違ったマインドフルネスであることもあります。

例えば、マインドフルにタバコを吸っている人がいるとします。20年間マインドフルにタバコを吸っている人です。もし、その人が本当に正しいマインドフルネスを実践していたらタバコを吸うことをやめているはずです。タバコを吸うことから生まれる苦しみに気づくはずです。
タバコを吸う人はタバコを吸うのがただ好きだから吸うのです。それは、タバコを吸っている間、自分の心の底から出てくる痛みと向き合う必要がないからです。それは習慣なのです。さみしさを紛らわせるための習慣です。自分の感情をコントロールするために身につけたことです。自分を忙しくして働きすぎるのも同じような習慣です。自分の心の奥底にあるものを感じなくていいようにするのです。

マインドフルネスのプラクティスは苦しみに気づくところから始まります。苦しみとは、感情をコントロールするための習慣から生まれる苦しみ、例えばタバコを何年も吸っていると肺や自分の身体そのものを弱くしていくこと、食べ過ぎたり、アルコールを飲みすぎることも私たちを不健康にして頭をはっきりとさせなくします。映画を見すぎると不健康なエネルギーに私たちをさらすことになります。だから、それらの習慣によって生まれる苦しみに気づいたとき、私たちは正しいマインドフルネスをはじめるチャンスなのです。
5つのマインドフルネス・トレーニングの中心にあるのは「苦しみに対する気づき」です。苦しみへの気づきがなければマインドフルネスの成果を得ることはできません。気づきが私たちの心や人生に慈悲の心が浮かんでくるのを可能にしてくれます。慈悲があるところに幸せもあります。マインドフルネスのプラクティスは私たちの人生で慈悲のエネルギーを養うことを可能にしてくれます。

1つ目のマインドフルネス・トレーニングを学ぶのに1年間を費やすこともできますが、今回は1つのトレーニングに対して2か月のペースで進んでいきましょう。5つのマインドフルネス・トレーニングについて語ることは、幸せの方向について語ることです。どのトレーニングを実践しても、幸せの方向に一歩進めていくような感覚です。5つのマインドフルネス・トレーニングは大学の授業とは違います。我々は自分たちの幸せや苦しみについて学びます。それは楽しく、喜びがあり、あきることがなく、いつまでも話し続けることができます。

では、1つ目のトレーニングについてどなたか読んでください。そこに書かれている最初の一文について言及したいと思います。「いのちを破壊することから生まれる苦しみに気づき、相互存在を洞察する眼と慈悲とを養い、人間、動物、植物、鉱物のいのちを守る方法を学ぶことを誓います。」という部分です。命の破壊はどの瞬間にも起こっています。私たちの身体の中では今も無数の細胞が死に、そして生まれています。この瞬間に生まれてくる赤ちゃんがいて、死んでいく人がいます。生まれてくる木があり、死んでいく木があります。生まれてくる動物がいて、死んでいく動物がいます。これは単に生と死についての話ではなく、苦しみについての話です。生命を破壊することから生まれる苦しみです。例えば、戦争によって殺されること、学校や教会で銃が撃たれて殺されること、動物が残虐に扱われることそのことによって生まれる苦しみについてです。

命について、と言った時にそれは人間だけではなく、動物や植物、鉱物を含めています。命はすべて尊いものだからです。切り倒されていく木や、戦争や交通事故で人が亡くなるのを見た時苦しみますよね。木々の破壊や自然災害で死傷者が出た時、私たちは苦しみ、命を守りたいと思うのです。だから相互存在を洞察する眼と慈悲の智慧を養うことを誓うのです。それは観念ではなく、洞察です。相互存在の洞察とは、すべてが関連しているということに気づくことです。植物がなければ動物は生きることができず、人間もまた生きることができません。海も川もすべて私たちとつながっていて関りあっています。人や植物、動物、鉱物がつながっていることは頭でも分かります。でもそれを単に知っているだけでは慈悲の心を養うことはできません。生命を助けるためには慈悲が必要で、その力によって海の魚が死んだら人間も死ぬことが分かるのです。

マインドフルネスの実践のためには集中と洞察が必要です。集中とは安定していて、継続的なマインドフルネスの実践です。マインドフルネスを議論で学ぶことはできるのか?と問う人がいますが、これは討論のためのものではありません。命を破壊することから生まれる苦しみに気づいて抱きしめるための招待状なのです。マインドフルネスと集中と共にその苦しみを抱きしめた時に、洞察と慈悲もともにやってきます。動物、海、植物に起こっていることは私たちに起こっていることなのだ、というのは理論ではなく洞察です。そのようなエネルギーがあればどうしたらいいのかが分かります。

私たちの家族について考えてみると、私たちにはそれぞれ父と母、兄弟・姉妹がいます。自分と父、母、兄弟、姉妹は違う人間で、同じ家に生まれたけれど別の個人だと思っている人がいます。では、母親が苦しんでいる時に、自分は全く関係ないと言えるでしょうか?お姉さんが幸せで、自分が不幸だと感じているとしたら、二人は関係していないといえるでしょうか?

自分の中には自分を幸せにしてくれるものと、不幸にするものがあります。自分を幸せにしれくれるものだけを受け入れて、不幸にするもの、自分が悲しくなることを避けるのは差別であり分離です。私たちのマインドは多くの場合2つの対立するものに条件づけられています。正しい/間違っている、苦しみ/喜び、好き/嫌いなどです。マインドフルネスの実践はそこにあるものをジャッジや分類なしに共にあることです。

私たちのプラクティスは幸せな感情が湧き上がってきたら「こんにちは」と話しかけてその感情と共にいて、悲しい感情が湧き上がってきたときにも友達のように「こんにちは」と語りかけて共にいるプラクティスです。

私たちの習慣を立ち止まって、深く観ることをします。「好き」「嫌い」に分けてしまうこと、好きなものを追いかけて、嫌なものから逃げる習慣を省察します。マインドフルな呼吸をして、何かから逃げることを止めます。立ち止まって、すべてを受け入れます。立ち止まることが、相互存在の洞察を養うことを助けてくれます。立ち止まることがなければ、相互存在の洞察を培うことはできません。相互存在の洞察が最初のマインドフルネス・トレーニングの核です。

想像してみてください。あなたのお父さんと自分が共に苦しんでいて、話せば話すほどお互いの怒りが湧くような状態だとします。それは、相手の苦しみが自分の苦しみだと理解していないからです。お父さんは「自分は息子のせいで苦しんでいる」あなたは「お父さんのせいで苦しんでいる」と両方が思っている限り、ずっと苦しみ続けることになります。お互いが苦しんでいて、どちらの方がより苦しんでいるか、苦しみが大きいのはどちらかということではないのです。そうではなく、どちらも苦しんでいることが分かれば洞察をえることができるチャンスがあります。そうすれば慈悲が湧いてきます。

そこにあるのは苦しみだけです。ただ、苦しみだけがそこにあるのです。相手を非難する必要はありません。相手を非難する必要がないことが分かれば、苦しみから抜けられる道があります。

「あなたは私ではない」と思っている限り、苦しみは永遠に続いていきます。あなたの幸せはあなたのもの、私の幸せは私のものと思っていれば苦しみは繰り返し、自分たち両方が同じように苦しんでいると気づかない限り変わりません。

自分を苦しめている人が家族の中にいたとします。あなたはその人の犠牲者のように感じて、自分がその人のせいで苦しみの檻に閉じ込められていると感じるかもしれません。そして苦しみによってがんじがらめにされていると感じているかもしれません。

それはあなたはその人とは違うんだと差別の心に根差しているからです。あなたも苦しんでいるけれど、相手も苦しんでいるのだと思い至ることができれば、救いの道はあります。マインドフルネスと集中とプラクティスすることによって生まれる洞察から、差別的な意識を徐々に変容させることができます。

自分が苦しみの中に閉じ込められていると感じていたらサンガでプラクティスをしてください。呼吸や、座る瞑想、歩く瞑想、食べる瞑想などをすることによってマインドフルネスと慈悲が養われてだんだんと色々なものが見えてきます。

「いのちを敬う」の後半部分には「有害な行為は、差別や二元的思考から生まれ、怒り、恐れ、むさぼり、不寛容から生じることを見抜きます。」とあります。「差別的な考え」とは自分と相手を違ったものとして見ることです。それによって多くの苦しみが生まれます。私たちは基本的なマインドフルネスのプラクティスに戻る必要があります。私たちの中のマインドフルネスのエネルギーを養うために、マインドフルな呼吸、歩く瞑想や、身体への気づきなど、サンガといる時だけでなくいない時にもプラクティスをすることによってゆっくり、私たちの中の差別の心に変容がうまれます。

怒りや緊張は私たちの心のスペースを多く奪ってしまいます。例えば2人の人が富士山を見ていたとします、一人の人は穏やかな心でみていて、もう一人は怒りながら見ていたとすると、怒っている人の心の中は怒りでいっぱいで、もう一人の人が見ている目の前にある富士山の美しさに出会うことができなくなってしまいます。差別の習慣的なエネルギーは生命の素晴らしさやこの瞬間を幸せに生きることを奪っていってしまいます。

相互存在の洞察が育まれれば、怒りや不安が減っていきます。そのことによってこの瞬間にある命を楽しむことができます。そして、人生に対する喜びや幸せが深まり、感謝や敬意が自然と湧いてくるのです。命が破壊される苦しみに気づくということは、生きる喜びに気づくということなのです。

苦しみに気がつけばもっと苦しくなると考える人もいます。でもそれは違うのです。苦しみに気づくということによって、もともとある命の喜びに気がつくこともできるのです。
もし、マインドフルネスのプラクティスをしているのに自分が幸せになっていかないとしたらそれは正しい方向でやっていないのかもしれません。正しいマインドフルネスのプラクティスは苦しみへの気づきを必要とします。そのことによって、喜び、平和、幸せ、慈悲の心が生まれてきます。そのことを覚えておいてください。


<アンフーンさんの法話 終わり>


法話の後は、食べる瞑想を行い、その後は静かな冬の森の中で歩く瞑想、マインドフルネス体操を行いました。木々に囲まれた場所で太陽の暖かさを感じながら、思いっきり深呼吸をして、身体を伸ばしました。


茶室に戻ってからは、歌う瞑想、座る瞑想、大地に触れる瞑想、ダルマシェアリングを行いました。

大地に触れる瞑想では、中国・武漢から広がった新型コロナウィルスのことに想いを馳せました。
人間に捕らえられた野生動物たちの苦しみや悲しみ、そして、野生動物を捕らえ、その肉を食べる人間達とも私達は一つの命の繋がりにあることを想い、大地に触れました。

参加して頂いた皆さま、ありがとうございました。

(Seiji@日光サンガ)


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2020年3月2日月曜日

日光サンガ 1月「気づきの日」瞑想会の報告

1月12日(日曜日)、今年最初の「気づきの日」瞑想会が開催されました。

まず始めに、アンフーンさんの法話の法話がありました。
今年のアンフーンさんの法話は、5つのマインドフルネス・トレーニングの一項目ずつを深く掘り下げて学ぶことになりました。




<アンフーンさんの法話> (微笑みの風サンガのJINさん翻訳)

新しい年の始まりと共に、みなさんと一緒に新しい学びを始めたいと思います。5つのマインドフルネス・トレーニングについてです。

5つのマインドフルネス・トレーニングとはマインドフルな人生を送るためのガイドラインです。
今の世界の中には多くの混乱があり、子どもたちを育てていく上で安全で快適な環境であるとは言い難い状況です。そのような世界の中で5つのマインドフルネス・トレーニングは地図のような役割を果たしてくれます。大きな都市を歩くためのGPSのようなものです。以前は「戒」と呼ばれていましたが、それは私たちを縛るためのルールではなく、ブッダの知恵を現代に応用したものです。
5つのマインドフルネス・トレーニングは、幸せで健康な人生を送るための地図なのです。それがあると、家族やサンガ、この世界に光をもたらすことができます。
マインドフルネスには「正しいマインドフルネス(正念)」と「違ったマインドフルネス」があります。マインドフルネスにも方向性があります。

例えばタバコを吸っている人はその苦しみに気がついていないことが多くあります。時として「私はマインドフルにタバコを吸ってるんです」と言います。「息を吸ってタバコを吸っている。息を吐いてタバコを吐き出している。」というのを指して「マインドフルな喫煙」と言っている人がいました。その人は自分が苦しんでいないと思っていました。
そこで私は彼に尋ねました。「あなたがタバコを吸う時に、あなたの肺は苦しくなっていませんか?」と。かれは私を見つめてしばらく止まった後「そうですね。」と答えました。
その人に「長く生きたいですか?」と聞きました?すると彼は「もちろんです。子どもが成長する姿を見たいですから。」と言いました。彼は子どもの成長を見たがっていましたし、子どものサポートをしたいと思っていました。
しかし、タバコを吸って肺や身体や自分の周りの人に害を与えていたら、どうやって健康なまま生きて子どものサポートをすることができるでしょうか?
私はその人にタバコを止めろとは言いませんでした。ただ、タバコを吸う時に自分の肺や身体とつながって、何が起こっているかをよく感じてくださいと言いました。すると彼は1週間後に私のところにやってきて「タバコをやめました。」と言いました。
マインドフルネスの中心は「苦しみに気がつくこと」です。5つのマインドフルネス・トレーニングはどれも「苦しみがあることに気がつく」ことから始まっています。苦しみがあることに気がつくことによって、もっと苦しみを作らないように生きることができるようになります。

1つ目のトレーニングは「いのちを敬う」です。
様々なものの中に命があります。私たちの歩む一歩一歩にも命があり、一つの微笑みにも命があり、涙にも命があります。ネガティブな感情の中にも苦しみの中にも命があります。命が尊いこと、今ここに生きていることを感じることです。
それは何も「動物を食べない」ということを指しているのではありません。動物がどのように食卓に運ばれるようになったかにマインドフルであれば、慈悲の気持ちが湧いて肉食をやめる人もいるでしょうし、肉を食べる機会を減らすかもしれません。でも、身体のために動物や魚を食べることが必要なこともあります。野菜だけを食べていても、微生物を殺していることもあります。何も殺さないようにしようと思えば、何も食べられなくなります。そうすれば私たちは死んでしまいます。それは自分のいのちを大事にしていないことになります。

「肉を食べている人より、いない人の方がえらい」「魚を食べている人よりも完全なベジタリアンな私の方がえらい」というような考えで差別をしていたらそれは「いのちを敬う」ことにはならないのです。恥の感情や罪の意識で自分を責めることは、自分のいのちを敬うことにはならないのです。
5つのマインドフルネス・トレーニングとは主義思想ではなく、我々の人生を照らしてくれる光なのです。我々が幸せになるために何が必要かを教えてくれるのです。
それはジャッジメントではありません。差別的な思考でもありません。それは、あるものの見方に執着しない、ということなのです。
それは思いやりや優しさと共に生きていくということです。慈悲とはものの見方を指しているのではありません。それは、心からのレベルでつながるエネルギーなのです。それによって苦しみを理解することが可能になります。
「いのちを敬う」についてはまた来月も扱いたいと思います。この1ヶ月間実践してみてください。疑問や発見があったらまた来月シェアしてほしいと思います。

<アンフーンさんの法話 終わり>


法話の後は、いつものように食べる瞑想、歩く瞑想、マインドフルネス体操、座る瞑想を行いました。
歩く瞑想では、喜連川神社まで歩き、神社の静かな境内でマインドフルネス体操をしました。その後、樹齢300年のケヤキの木を抱いて静かに呼吸を感じる瞑想を行いました。
木を抱いて静かに呼吸をすると、木の温もりを味わうことが出来て、とても豊かで癒される時間でした。


その後、15時からはインターネット電話のZoomを用いて、プラムヴィレッジ・タイランドと東京の微笑みの風と繋がって、
年末年始のプラムヴィレッジ・タイランドでのリトリートに参加した方々の感想と日本に帰ってからの様子を一人ずつシェアする機会となりました。
その後は、日光サンガのメンバーでダルマシェアリングを行いました。
ダルマシェアリングでは、午前中のアンフーンさんの法話を聴いて感じたことや、日常生活の中で5つのマインドフルネス・トレーニングで実践していて感じたことを各自がそれぞれシェアしました。

参加して頂いた皆さま、ありがとうございました。

(Seiji@日光サンガ)


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