2018年1月9日火曜日

プラムヴィレッジ・タイランド コアサンガ・リトリート報告~2


リトリート2日目は、夜明け前の5時15分から瞑想ホールで座る瞑想を行いました。
ブラザーの美しい声のチャンティングを聞いた後、静寂の中の座る瞑想。
その後は、歩く瞑想でプラムヴィレッジの広い敷地内を歩きました。
広場では、マインドフルネス体操を行いました。
新鮮な野菜がたっぷりの美味しい朝食を堪能した後、今回のサンガファミリーが集まって顔合わせを行いました。

そして9時45分からオリエンテーションが始まります。
昨夜のトータルリラクゼーションでは、時間に遅れて会場に入れなかったので、
今回は早めに行って、(昨夜の悔しさを晴らすために?)最前列のほぼ真ん中に座りました。
時間になると、大勢の僧侶達が前に集まって来ました。
バイオリンやチェロなどの楽器を持った僧侶もいます。何が始まるのでしょうか?

ブラザーの短い挨拶の後、チェロとバイオリンの演奏が始まりました。
そして「ナモー アヴァローキテーシュヴァラ(南無観世音菩薩)」のチャンティングが始まりました。
(右から2番目は日本人僧侶/ブラザーサンライト)

チャンティングの最中、止めどなく涙が溢れてきました。
そして、脳裏に二人の祖母の姿が思い出されました。
一人は私の母方の祖母、もう一人は妻の父方の祖母でした。

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私の母方の祖母は、私が物心ついたときから、朝晩仏壇に向かってお経を唱えていました。とても優しい祖母で私は小さいときから祖母が大好きでした。
5歳の時に、初めて祖母と一緒にお経を唱えました。祖母の読むお経があまりにも速くて、すぐにどこを読んでいるのか分からなくなりました。
すると、祖母は「今ここを読んでいるんだよ」と教えてくれましたが、すぐに置いてけぼりになりました。
それでも、お経を読み終えると、祖母は仏壇に向かって、孫と一緒にお経が読めたことがとても嬉しくて幸せだと言ってくれました。
そして、仏様が私のことを守ってくれるように祈ってくれました。
高専を卒業し、遠く離れた地で大学に通い始めてから、祖母と数ヶ月に一回文通をするようになりました。
しかし、会社に就職して何年か後、祖母は脳梗塞で倒れました。
妻を連れて、祖母のお見舞いに行きました。母からは「おばあちゃんはもう意識が薄いので、誰が来たのか分からないだろうよ」と言われていましたが、
私が祖母の前に立って「おばあちゃん」と呼び掛けると、祖母は突然大粒の涙を流しました。私は祖母に妻を紹介しました。祖母は私達2人をじっと見つめていました。
この時が祖母との最期の一時でした。

もう一人の妻の父方の祖母も、30年以上毎朝、観音経を唱えていて、菜食を貫いていました。
私が仏教を学んでいることを知ると、とても喜んでくれました。
若い人が仏教を学んでくれるのが本当に嬉しい様子でした。
妻の実家で結婚式を挙げた後、私に華厳経の分厚い経本と、2つの念珠を手渡してくれました。
「この念珠を付けて、私は長い間、観音経を唱え続けたんだよ。
 あなたが困ったときに、観音様があなたをきっと助けてくれるから。
 この念珠はあなたが持っていなさい」と言いました。
そしてそれが、妻の祖母との最期の一時でした。
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アヴァローキテーシュヴァラのチャンティングを聴きながら二人の祖母との思い出が蘇ってきました。
そして、「生も死も無い。死はただ、命の現れる姿が変わっただけ」というタイ(ティク・ナット・ハン師)の言葉が思い出されました。

私の目から流れ出る涙は私一人のものでは無いのだ、と思いました。
この涙は、私の中に生きる二人の祖母の歓喜の涙でもあるのだ、と思いました。
私の身体は大勢の僧侶達に囲まれて、観世音菩薩の慈悲のエネルギーで満たされています。
その喜びに浸りながら、二人の祖母と共に、幸せな時間を過ごしました。

それから、数日後、食事を終えて、宿泊先のテントに向かって歩いている時、一人のブラザーとすれ違いました。
そのブラザーは私の顔を見るなり、私を呼び止めました。そして、こう言いました。
「あなたは、アヴァローキテーシュヴァラのチャンティングをとても深く聴いていましたね」
あれ?なんで知っているんだろう?と私はびっくりしました。
そして、私の祖母のことをブラザーとシェアしました。
ブラザーは私の話しを深く聴いてくれて、「ありがとう。あなたのことは忘れないよ。」
と言ってくれました。

(Seiji@日光サンガ)

プラムヴィレッジ・タイランドで購入した観音像


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