2020年9月2日水曜日
日光サンガ 8月「気づきの日」瞑想会の報告
8月2日(日曜日)「気づきの日」瞑想会が開催されました。
はじめに、座る瞑想、トータル・リラクゼーション、気功体操がありました。
<アンフーンさんの誘導による座る瞑想>
みなさん、おはようございます。
このようなパンデミックの中にあっても、共に座り、呼吸を感じ、微笑むことができる幸せを味わいましょう。
私たちはそれぞれ家の中にいて、離れた場所にいるかもしれませんが、こうして共に座り、同じ時間を共有しています。
一つの大きなサンガの輪の中にいるのです。その幸せを味わいましょう。
この新しい日本の朝に微笑みましょう。
一人一人が自分の身体に「おはようございます」と挨拶しましょう。
そして、サンガとしての身体にも「おはようございます」と挨拶しましょう。
それは、とても幸せな瞬間です。
(鐘の音)
今日は座る瞑想とトータルリラクゼーションを続けて行います。
それでは、美しいイメージを持ちながら座りましょう。
背筋をスッと伸ばして、胸を開き、横隔膜をリラックスさせるイメージ座りましょう。
顔の表情をリラックスさせて、あごを引き、頭頂をスッと上から引っ張られるようなイメージで伸ばします。
肩の力は抜いてください。
もう一度、胸を開くように意識してください。
背中もリラックスさせて、特に腰の部分をリラックスさせましょう。まるで、体重が地球の中心に向かって落ちていくようなイメージで、山のように座ります。
息を吸いながら、入ってくる息に気がつく。
息を吐きながら、出てゆく空気に気がつく。
入ってくる。出てゆく。
(鐘の音)
息を吸いながら、吸う息が深くなってくる。
息を吐きながら、吐く息がゆっくりとなってくる。
吸う息 深く。
吐く息 ゆっくり。
(鐘の音)
もし心地良ければ、片方の手をお腹に、もう片方の手を胸に置いてみましょう。
こうしていると、息を吸うと共にお腹が膨らみ、息を吐くと共にお腹がへこむのを感じられるでしょう。
それはとても心地の良い感覚です。
私たちはこうして今、息をしています。
私たちはこうして今、生きています。
息を吸いながら、身体に微笑みます。
息を吐きながら、身体の緊張を抜いていきます。
身体に微笑む。
力を抜いていく。
(鐘の音)
息を吸いながら、心が静かになってくる
息を吐きながら、身体はリラックスしてくつろぐ
心は静か
身体はくつろぐ
(鐘の音)
それでは、続いてトータルリラクゼーションに移ります。
座る姿勢からゆっくりと身体を動かして、床に横たわる姿勢へと移っていきます。
こうして私たちは身体を自由に動かせることに喜びを感じます。
そして、まるで赤ちゃんがお母さんに抱かれるように、安心して、身体を母なる大地へと委ねてください。
<トータルリラクゼーション、続いて、気功体操>
<アンフーンさんの法話>
親愛なるタイ、そして、親愛なる日本のサンガの皆さん、
私はこうして画面越しにたくさんの顔を見ています。
皆さんがこうして「いる」ということに私は幸せを感じています。
「そこにあなたがいる」ということは、「愛する人がすべて、そこにいる」ということを意味します。
私たちがよく思いがちなのは、
「これは私の身体である」「これはあなたの身体である」と区別するということです。
私たちは一日一日生きていく中で、様々な決断を迫られています。
そして、何かを決めるために誰かに相談することもないという状況です。
日常の中で、仕事をするときに何をするのか、食べるときに何を食べるのか、どんな服を着るのかを選ぶとき、「私が決めている」「私が選んでいる」と思います。
そして、その結果を、責任を「私が引き受けている」と思います。
「これは私の身体」「これは私の人生」だと思います。そして、もう私たちは大人になったのだから、自分の選択について、自分の決断について、周りから指図される筋合いはない、何をやりたくて、何をやるたくないかは、自分で選び、決断することができると思います。
毎日、自分がやりたいと思うことをこなすための時間が足りない、と感じることもあります。
私たちには一日24時間があるわけですが、例え寝ないで仕事を続けたとしても、時間が足りない、やるべきことをこなすための時間が足りないとも思います。
私たちには、じっくりと考えて選ぶための時間がない、余裕がないと感じたりもします。
悪い選択をすれば、私は苦しむ。
良い選択をすれば、私は喜ぶ。
良い選択をするのも、悪い選択をするのも私であって、その結果を引き受けるのも私だと思います。
私たちには、十分な時間と空間がないように感じます。
立ち止まって、じっくりと考えるための時間と空間がないように感じてしまいます。
そして、私たちはこの身体は自分だと思っていますが、この身体を深く見つめてみると、この身体は両親、祖父母、ご先祖様から代々受け継がれているものであって、この身体は自分だけのものではないのです。
しかし、私たちは普段、そのことに気づくことができないでいます。
私が誤った決断を下してしまうと、苦しむのは私だけではありません。
私の身体の中にいるすべてのご先祖さまも共に苦しみます。
私の身体の中にいるすべての愛する人達も共に苦しみます。
私が幸せならば、私の中にいるご先祖さまも共に幸せを感じています。
私が深く息を吸っているときには、私の中にいるご先祖さまも深く息を吸っています。
私が横たわり、大地に体を委ねて、力を緩めることができるとき、私の身体の中にいるすべてのご先祖さまも、この身体を通して、力を緩めることができます。
私がマインドフルネスの実践を通して学んだことは、あちこちへと彷徨う心をこの身体に引き戻すということです。
心と身体が一つになるということです。
心と身体が一つになるとき、私は自分の心をより明確に観ることができるようになります。
そして、私は身体の状態についてもより明確に観ることができるようになります。
私が今、考えていることが幸せにつながるものなのか、苦しみにつながるものなのか、
私が今、話している言葉が、皆をより近づけるものなのか、皆を引き離すものなのか、
私が歩くとき、お皿を洗うとき、家族のために料理を作るとき、赤ちゃんの世話をするとき、日常生活の一コマ一コマにおいても、私の行動が幸せにつながるものなのか、苦しみや悲しみにつながるものなのかをより明確に観ることができるようになります。
私がよりマインドフルになると、私は自分の言葉や行動を選択できるようになります。
自分の言葉や行動を、それが幸せにつながるものなのか、苦しみにつながるものなのかを選択できるようになります。
そして、私にとって大切だと思えることは、私が自らの選択によって幸せや喜び、苦しみを感じるとき、私の中にいるすべてのご先祖さまも共に幸せや喜び、苦しみを感じているということです。
つまり、私だけの幸せ、私だけの喜び、私だけの苦しみといった、個人だけのものは存在せず、あらゆるものは私の中にいるすべてのご先祖さまや愛する人々と共に分かち合っているということです。
私が今この瞬間によりマインドフルになると、私が今からやろうとしていることが、私が今から話そうとしている言葉が、皆に幸せをもたらすものなのか、苦しみをもたらすものなのかを明確に観る、知ることができます。
そして、もし苦しみをもたらすならば、その行動を起こす前にストップすることができます。
ですが、このようなことを言うと、皆さんの中には、「それじゃあ、マインドフルになるということは、自由でなくなるということなのですか?」と思う人がいるかもしれません。
そんときはこのように振り返ってみてください。
私たちはこれまで自由に行動し、自由に話してきました。
それなのに、その自由に行った結果、苦しむこともあったのではないですか?
私たちは他者を苦しめたくはなかった、他者を傷つけたくはなかった。
それなのに、結果として、自分の行った行為が他者を苦しめ、傷つけることになってしまった。
それは、私たちが暗闇の中にいたからです。
自分の行為の結果が、幸せをもたらすものなのか、苦しみをもたらすものなのかが分からなかったからです。
私がマインドフルにいると決意することは、それは私が光の中にいると決意することです。
マインドフルネスとは光のエネルギーです。私たちの行為がどのような結果をもたらすものなのかを明確に観ることができるようになる、そういった明るさを持っています。
そして、苦しみというものに気づくこと、それはマインドフルネスの実践の核、中心になるものです。
なぜならば、マインドフルネスの実践とは光の中にあって、光の中を歩むという実践だからです。
私たちは、もう、この苦しみを自分にも他者にももたらしたくない、その想いが原動力となって、私たちを光の中に歩ませる、マインドフルネスの実践へと導いてくれるからです。