2019年3月27日水曜日

日光サンガ 3月の「気づきの日」瞑想会の報告

3月3日、日光サンガの瞑想会が開催されました。
午前中はアンフーンさんの法話・質疑応答とトゥさんのトータルリラクゼーションがありました。

アンフーンさんの法話では、止まらない思考を止める大切さについてのお話がありました。

思考が止まらなければ、私達は今この瞬間から離れて、過去や未来へと彷徨ってしまいます。
身体は誰かの隣にいても、心は遠くに行ってしまう。
近くで鳥が美しい声で鳴いていても聴こえない。
足元に美しい花が咲いていても見えないことになります。
マインドフルネスは、まず自分の呼吸に立ち返って、今この瞬間に戻ることです。
そして、隣にいる人の本当に隣にいること。
鳥の声を本当に聴くこと。
足元にある美しい花を本当に見ることです。

仏陀の美しい微笑みは、考えから生まれたものではありません。
今この瞬間に存在することから生まれたのです。

また、止まらない思考は、私達を二元的な世界へと分断させてしまいます。
もし、誰かの言動で私が苦しみを感じた時、そのことについて考えれば考えるほど、苦しみは増します。
「あの人はどうしてあんなことをしたの?」
「あの人はどうして私のことを理解してくれないの?」
マインドフルネスでは、まず自分に立ち返って、今ここにある苦しみに気付き、微笑み、抱きしめます。
そうして、ただ苦しみと共にいることが出来れば、その苦しみは私個人の苦しみでは無く、私達の苦しみであることが分かるでしょう。
相手も苦しんでいることが分かるでしょう。
そして、私達の苦しみをどう乗り越えていくかという発想に変わることができるでしょう。

法話の後の質問では、
長年キリスト教徒だった方が、ティクナットハン師の教えを追究するために仏教徒となった。それがきっかけで長年キリスト教徒の友人と疎遠になってしまった。
その友人とは子供の時からの付き合いで、良い思い出もたくさんある。
しかし、彼女は私が仏教徒となったことを理解してくれない。
この先、どうすれば良いのか?人生は無常であることを理解してそのまま離れた方が良いのか?
というものでした。

アンフーンさんの回答では、
例え、仏教徒であっても、キリスト教徒であっても、心の中を深く見つめれば、それぞれが自分の中にある、愛、平和、喜びを育てようとして、その道に入ったことに違いは無いこと。
また、長年、キリスト教徒であった友人と深い関係であったのならば、例え、今、仏教徒になったとしても、自身の中には、キリスト教徒の部分があり、また、キリスト教徒の友人の中にも仏教徒の部分があること。
だから、仏教の方法でマインドフルネスの実践を行っても、同時にキリスト教の実践を行っていること。
だから、私は仏教徒で、友人はキリスト教徒だということで、分断した思考に囚われる必要は無く、今は何らかの縁で川が2つに別れるように別々の道を進んでいることになったが、今の実践を続けていけば、時間が掛かったとしても、いつか必ず出会い直す日が来るでしょう。
というものでした。

アンフーンさんのお話しを聴きながら、私も自分自身のことを振り返っていました。
私は、瞑想の実践を始める前は、山登りが一番の趣味でした。
しかし、山登りをして、一時的にリフレッシュするだけでは、自分が抱えている苦しみを乗り越えることは出来ないと感じるようになって、瞑想の実践をするようになり、山登りをこれまでのように熱心にしなくなりました。
山登りを通じてそれまで付き合っていた友人達とも疎遠になりました。
それでも、自分の心を深く見つめると、堂々とそびえ立つ山々の景色、山の懐の深い森、崖の上に咲く可憐で美しい高山植物達が見えます。
私の中には今でも山々の自然が深く入り込んでいることが分かります。
そして、一緒に山に登った友人達も私の中で生きていることにも気付かせてくれました。

午後は、食事の瞑想、歩く瞑想、マインドフルネス体操、歌う瞑想、座る瞑想、5つのマインドフルネストレーニングの読み合わせ、ダルマシェアリングをしました。

歩く瞑想では、会場近くの笹屋別邸まで歩いて、可愛いひな飾りと美しい刺繍アートをみんなで観賞しました。
一つ一つ丁寧に縫い込まれた刺繍アートの美しさを深く味わいました。


参加してくれた皆様、ありがとうございました。
次回の瞑想会は4月7日(日曜日)です。
会場裏のお丸山公園で桜が咲くと良いですね。
皆さんの参加をお待ちしています。